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ジャンルの持つ矛盾とか何とか

脚本演出の冨坂です。ちょっとまたメンドクサい感じになっちゃうんですが、読みたい人だけお付き合い下さい。

「SRサイタマのラッパー」のテーマ「日本でラップをすることのダサさ、浮き具合は無いとは言えない。しかし、それでも日本語でラップをやることのカッコ良さ・正しさはあるよね」であったり、「レスラー」にある「プロレスはエンターテイメントとスポーツの虚実の皮膜であり、矛盾がある。でも試合の痛みは本物だ」といったものを聞くたびに、考え込んでしまう。
いやむしろ、芸人、自主映画監督、アイドル、タレント、町の美容師の話を聞いていても、表現の持つ矛盾が気になってしまう。自分のやっていることと照らし合わせて考え込んでしまう。
自分は、自分のやっている表現媒体、表現内容の抱える矛盾に折り合いをつけられているのかどうか、ということだ。

つまりシチュエーションコメディでいうところの「(お笑いと比べて)笑わせるときにこの段取りを取る必要があるの?」であり「(リアリズムの演劇と比べて)リアルに真面目に演じるモノって嘘じゃない?」という矛盾。しいては「金も無いし客も少ないし、だからこそ尖ったこと出来る小劇場演劇でポップなエンターテイメント志向をするのって違うんじゃない?」という媒体での矛盾にもなる。見方を変えれば「エンターテイメントはミュージカルやライブで出来る、物語は小説で描ける」とでも言うか(ま、ミュージカル関係者も音楽と芝居の狭間で揺れてそうだけど)。

そこを「好きだから」「今までやってきたから」で片付けるのは簡単だけど、それは絶対正しくないし、それだけじゃ続けられない。自分は「死チュエーションコメディ」をやって、「長時間笑いを繋げる」とか「その場で笑ってた客を取り込むメタ構造(くわしくはこちらのありがたいレビューを参照)」とかに見出したような気がするものの、本当に納得できているか不明。そしてこと小劇場で演劇やっている人がどういう理屈をつけてやっているのか、聞いてみたくてしょうがない。

そんなことをずっと考えているのだけど、特に書きたくなったのは、学生プロレスをやっていた人が学生の活動なのに「エンターテイメントとスポーツ」「虚実の皮膜」を考えて、試合して、人を唸らせる表現をしていたからかもしれない。そしてその人がすんなりアマチュアプロレス(変な表現だけど)を辞めて違う業界に就職している現状を知ったからかもしれない。

なんだかもう完全にまとまっていないしエントリーとしてテーマがあっちこっちにいているのは自分でも知っているんだけど、今この悩みをそぎ落として纏めることは出来ないのでそのままかいてみた。

2009/07/14 トミサカ | | コメント(0)


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