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自虐の在り方

自虐ネタは好きではないアサコシです。

自省も含めて、あまり格好のいいものでないし、さもしい。
大袈裟だったりすると、その中のちょっとした自意識が鼻につくわけです。

西村賢太の私小説「どうで死ぬ身の一踊り」読了。
大正時代に非業の死を遂げた無頼派作家、藤澤清造。
彼にどこまでも想い入れ、愛し、依存し、全集刊行を誓う作者。
女の親からの借金で金を捻出し、清造ゆかりの物を買い漁り、
しかしその金でソープに行き、女に暴力を振るう。

そのクソったれで反吐が出る愚かな哀しい日々。

赤裸々、て言葉が本当に似合う。そこには自意識も美化もなく、ただただ愚かしい日常しかない。
正直読む前、期待は低かった。
安易な自虐じゃないか?この平成に無頼とか、エセじゃないか?

まいりました。
生半可じゃない器の小ささと狂気に似た藤澤清造への妄執。
会う人を必ず不快にするような粘着質で下衆な視点。
コンプレックスの塊であり、哀しいほど不器用で。

特にそれが発揮されるのが、同棲する女との場面だ。
ダメ男とダメ女の極致。宇宙にこんなに無駄があるのか、と思うような喧嘩。

言い争いで女が折れ、作者に作ったチキンライスで仲直りをしようとする。
「うるさい。お前が全部食え。何がチキンライスだ、チキンなんて入ってやしないじゃないか」

この幼児性。そもそも作者を食わせるために女はパートに出ており、それで金がないのである。
そして暴力。同情の余地もない。

ここまで書いて、なぜそんなものを面白く読めたのか、自分でも不思議に思う。

作者に感情移入した?まあ別れようとする女にぐじぐじと迫る場面は自身の経験もあるけども、はっきり言って行動感情を理解できるといい難い。できたとしても表層に過ぎないだろう。そのくらいぶっ飛んでる。

無頼への憧れ?俺はそういうものが人一倍強いのは自覚しているが、ここまで行くと引く。俺はエセでいい。

じゃあなんなのかというと、それは長くなったので明日にまわす。

2009/07/19 システム | | コメント(0)


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