ぼくの好きなSF そのさん
アサコシ。
今日は現代アメリカ文学の巨匠に挑みます。
<今回の教科書>
タイタンの妖女/カート・ヴォネガット
まず、あらすじ。
なぜかとてつもない幸運をもつ大富豪、マラカイ・コンスタント。
彼は「時間等曲率漏斗」(クロノ・シンクラスティック・インファンディブラム)
という現象により、過去・現在・未来を見通す力を持った男、
ラムフォードから予言を受ける。
マラカイはそのとんでもない予言から逃れようとするが、
記憶を奪われ、火星で地球との戦争のための軍隊に入れられ、
地球を目指すものの水星に飛ばされ、どうにか地球に帰還するも、
最後に木星の衛星タイタンへ追いやられる。
そこで彼を待つ、ある使命とは、、、
スジだけだと、とんでもなくSF的。
ただ、ヴォネガットの作品をSFと分類していいかどうか、議論がいると思う。
前回のこの項で扱った、「ハードSF」というジャンルでは、絶対にない。
あらすじからもわかるとおり、SF的ガジェット(小道具)は
フンダンに取り入れられている。が、その扱われ方の「ソフト」なこと。
一番扱いの大きな「時間等曲率漏斗」(クロノ・シンクラスティック・インファンディブラム)
でさえ、何なのかあまり説明されない。
一応説明はあるが、解るような、よく解らないような書き方。これは狙ってやっている。
つまり、これはガジェットに科学的な理屈を求めてはいない作品だ。
(このようにガジェットは使うが「ハード」に「サイエンス」に迫らないSFを、
ガジェットSFと呼ぶ。この言葉には揶揄する響きがある気がするので、好きじゃない。)
そもそも、ヴォネガット自身がSF作家であることを否定しているという事実がある。
それに後世への影響も、SF界にとどまらない(村上春樹とかもらしいよ)。
ただし、俺はSFとして読んでしまうのだ。なぜだ。
ここで初回のおさらい。「<思考実験>と<センス・オブ・ワンダー>+科学的視点」が、
俺の定義でした。
SFを、<スペキュレイティブ・フィクション>と表現することがある。思弁小説と訳す。
現実と異なる世界を思索し、突き詰める。科学に限らず。
SF(サイエンスの方)の世間的な扱いの軽さ、自然科学以外のSFの可能性、
またオールドファンのその新しい風(ニュー・ウェーブという)への無理解から、
使われた言葉でもある。
上の定義、当てはまりそうじゃない?
「<思考実験>と<センス・オブ・ワンダー>+科学的視点」て。
ちなみに俺は藤子Fさまの<少し不思議>もこういうことかな、と勝手に解釈してます。
ここで「タイタンの妖女」に戻ろう。
多分に<スペキュレイティブ>なのだ、この作品。
とおもったらめっちゃ長くなっとる。
「タイタンの妖女」、急遽ニ回に分けさせてください。
2009/09/16 システム | 個別ページ | コメント(0)